コロンビア移住日系人農家さんを訪問
先日故あってコロンビアに移住された日本人(日系)農家さんを訪問する機会を得ました。場所はコロンビア国内第三の都市・カリ近郊です。
コロンビアに移住された日系の方々とはこれまで何度もお会いしていますが、私自身27年のコロンビア生活で初の農家さん訪問となりました。それはとても貴重な一時で私にとり生涯思い出に残るものです。
今回訪問させて頂いたご家族は1935年に日本から移住されました。現在は当時移住されたご夫妻から数えて三世のお孫さんが農業を継がれています。カリから車で約30-40分、農園が近づくとこの地特産のサトウキビ畑が視界一杯に広がります。日本では沖縄や奄美諸島などでサトウキビ生産が盛んなようですがここは面積的に桁違い・肥沃な大地である事を実感します。画像右の建物が日本から移住された一世の方が開拓・拠点とされたご自宅です。今回はこことは別のお二人・三世の御兄弟の農園を訪問させて頂きました。
こちらはさつまいも畑です。我々を歓待して頂いた三世の息子さんから詳しくお話しを伺う事が出来ました。
さつまいもは現在こちらの農園のいわゆる稼ぎ頭の産品だそうです。土壌が良く一年を通じて気温の変動が殆どなく気候的に恵まれている事もあり、年間を通じて収穫が可能との事です。収穫したさつまいもはカリ市内の他に首都ボゴタへも出荷しているらしく、パロケマオ中央市場に卸しているとの事です。私自身パロケマオで時折さつまいもを購入してきんとんにしたりそのまま蒸して食べたりしていますが、それはどうやらこちらの農園から出荷されている品のようです。コロンビアでさつまいもが容易に手に入るのはこちらで生産されているからなのですね。
今回は三世の息子さんに加えて全く予定外でしたが別の日系のご家族の二世の方(現・コロンビア日系人協会副会長)もわざわざ農園へお越し頂きました。右画像には「四世」となるお子さんの姿も写っています。
左画像は黄(金)胡麻(ゴマ)の木・その隣にあるのが中央画像左側部分に見られる小豆の木です。金ゴマ・小豆も前述のパロケマオ中央市場で見かける品々で、これらもこちらの農家さんから出荷されたものなのでしょう。右画像・手のひらに乗っているのがまさに小豆です。
コロンビア人も豆類各種が好きで一番よく食べられるのが日本でいう所の金時豆です。これを砂糖を使わず炊き上げて塩をベースに味付けをします。これは日本人にとっては大きく異なる食感です。ちなみにコロンビア人は小豆は殆ど消費せず、これを重宝しているのは日本人・中国人・韓国人などのアジア系の人々です。
場所を移動してご兄弟所有の別の農園を訪問しました。ご兄弟同士で生産品目が重ならないよう変えているようです。中画像は「ニラ」です。大変失礼ながら雑草にしか見えませんでした。そして右画像が「生姜(しょうが)」です。こんな風に育つのですね(根の部分)
こちらの農家さんが生産されている多品目の中で一番驚いたのが左画像の「オクラ」です。茎の間からニョキニョキと生える・オクラってこんな風に育つのですね。日本にお住まいの方々でもオクラがどのように生えるかご存知の方はほぼ皆無なのでは。まさかコロンビアでそれを知るとは、本当にびっくりしました。
中画像は一世・二世いずれかのお母様(どちらか失念)がお好きで生産を始めた「ラン」です。これらもやはり首都ボゴタに出荷しているそうです。そして右画像は近年新しい取り組みとして始められたレタスの水耕栽培です。
こちらの農園ではこの他各種フルーツ類の木々も見られました。左から順に「グアナバナ」「チリモヤ」「アボカド」の実です。グアナバナはコロンビアやブラジルなどで生産されていて、最終的にはドリアン位の大きさと形になります。と言ってもドリアンとは別物で臭みはなく果肉は若干酸味があり、これをミキサーに入れてジュースにして飲むととても美味です。
チリモヤは外皮がまるで腐ったように真っ黒くなると熟して食べ頃になります。
スターフルーツの実も木に鈴なりでした。その場でもぎ取って同じ敷地内で収穫したマンゴーやライムをカットしたものを頂きました。獲れたてですので美味であった事は言うまでもありません。約二時間の訪問でしたがとても貴重な体験をさせて頂きました。
コロンビアへ移住された日本人の方々も他国と同様、三世・四世の世代で農業を継ぐ人はどんどん減ってきています。三世の方に「お子さんに農業を継がせますか」と伺った所、それは本人の意思次第との事でした。そのような現状下でこちらの農家さんはとても貴重な存在です。
前述の通り私は27年のコロンビア生活で初めて日系人農家さんを訪問するさせて頂きましたが、これは長年希望していた事でした。
私の祖父は若かりし頃に外務省からポルトガル語・スペイン語通訳官(書記官)としてブラジル・パラグアイの日本領事館・日本大使館で勤務していた時代があり、それぞれの地で日本から移住された方々と接していた筈です。祖父の形見でもあるこの写真には昭和7年(1932年)と本人の記述があり、これはおそらくサンパウロ領事館勤務時のものでしょう。その他にもパラグアイ在勤時代を振り返った回顧録も書籍として現存しています。それから約100年の時を経て孫の私が再びコロンビアの地で日系移民のご家族様の農地を訪問する機会を得る事が出来ました。
こちらも祖父の形見である絵葉書です。私が南米に興味を持つきっかけになったのがまさにこの絵葉書で、裏面には「四十数日の航海を無事にブラジルの首府(当時の首都はリオデジャネイロ)に着きました。翌晩はサンパウロに落ち着く筈です」と書き記しています。それから紆余曲折を経てコロンビアに移り住んで27年。当時祖父も移住者の方々が開拓された大地に立った筈で、約100年後に孫の私も同じ南米大陸の日本人移住者の方々が開拓された大地に立つ事が出来、感慨深い一時でした。
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