« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

ボゴタに夏到来!

ついこの間まで大雨による被害が続いていたコロンビア国内ですが、ここへ来てついに「夏」が到来しました 異常気象という話はありましたが、やはり毎年の事で7月終わりから8月にかけては夏が来るのが常です。

Bogota_jul_200801_2 夏が来ると日中の光景がそれまでとは一変し、降雨が極端に少なくなります。空には晴れた日に見られる典型的な綿菓子のような積雲が広がり、日差しも強くなります。とはいえ首都ボゴタは高地ですから夏とはいえ汗だくになるような暑さはありません。夏の北海道のようなものでしょうか。この時期は実にすがすがしく、湿気も少ない事から私は一年を通じてこの時期が一番好きです。夏にボゴタを訪れた方は、高地特有の素晴らしい気候を実感できる事でしょう。

Bogota_jul_200802 コロンビア・ボゴタの「夏の風物詩」といえば、何といっても画像に見られる「凧」です。日本にお住まいの方々は「なぜ夏に凧揚げ?」と思うでしょう。実は夏の典型的な気候の一つが「強い風が吹く」のです。晴れ渡った青空に汗をかかない程度の適度な暑さ、そして涼しい風が吹き渡る、それが首都ボゴタの「本当の夏」なのです。その為、この時期に路上や公園でビニール製の凧売りを見かけるようになったら、もう「夏本番」です。公園等の広い場所では多くの凧が空に向かって舞い上がり、そして電線にはこれまた多くの凧が絡み付いている、それが首都ボゴタの夏です。

Bogota_jul_200803 おい、これは「タコ」じゃなくて「イカ」(もしくはクラゲ)じゃないか! というダジャレのような「凧」を見つけました。これはショッピングモールに掲げられていたものです。やはり皆、夏の到来を感じているのでしょう。このような時期に郊外で「焼肉パーティー」などをやったりすると、それはもう最高です。強い風が吹く為に視界が広がり、高台などに立つと遥か数十キロからその先まで見渡す事が出来ます。

あれっ、もうサン・アンドレス島に行ったの?と疑問をお持ちの方、私の休暇はあともうちょっとです。ボゴタに夏が来たし、ああ待ち遠しいです。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ

|

カリブ海に浮かぶサン・アンドレス島での休暇

123 既に出発日は決まっており、まだちょっと時間がありますが今年初めての休暇取得でカリブ海に浮かぶ離島サン・アンドレス島へ行ってきます。

前回この島を訪れたのは確か6~7年前だったと思います。この島は開発の波とは無縁のひなびた所ですから、当時と比較してもそう大して変わっていない筈です。ちなみに首都ボゴタからは空路およそ2時間、ちょうど沖縄くらいの距離ですね。コロンビア本土の海岸は、カリブ海側でも実は砂地が日本と同様黒っぽい為、「カリブのビーチ! 」と期待して行くとちょっとがっかりします。その点、ここサン・アンドレス島まで来ればそれはもう素晴らしい風景が視界一杯に広がります。

121 およそ20年近く前、私が日本からの一旅行者として初めてコロンビア領に立ち入った場所、それがこのサン・アンドレス島でした。当時コスタリカのサンホセからサン・アンドレス経由ボゴタという「国際線」があり、このルートは比較的安かった為「バックパッカーの黄金ルート」と言われていたらしいです。私はその時休暇旅行でメキシコ経由コスタリカ・コロンビアと南下する旅をし、それがきっかけでこの国に興味を持った次第です。現地の状況は旅行から戻った後にホームページ及びこのブログにて報告したいと思います。

日本は現在夏真っ盛りで毎日暑い日々が続いていると思いますが、高地のボゴタに長年いる私は「汗をかくほど暑い」という感覚をもう忘れてしまっています ここでは年間を通じて毎日朝方は吐く息が白くなるほど寒く、日中道を歩いていても汗をかくことはまずありません。そんな毎日ですので、「あ~、暑~い所へ行きたいっ!」と思う訳です。

今年は年始からとにかく忙しく、絶好調とまでは行きませんが何しろ「暇な時」というのがない程で、この間大きな仕事や難しい手配をこなす事が出来たので、「自分へのごほうび」という事で、ここは一つ「大散財」しようかと思っています。

そういえば、私のホームページの方で前回のサン・アンドレス島旅行記を掲載していますが、その最初のコメントが"年末年始もなくとにかく働き詰めの毎日を過ごし「これは休まないと大変な事になる」と感じる程、心身ともに疲れ切ってしまいました"と書いているのに気が付きました。あーあ、また同じ事をやってしまっています という事で、携帯の電源を切り(たいが・・・)、メールチェックもせず、Skypeはオフラインにしてのんびりさせていただきたいと思います。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ

|

歴史に残る15人の人質奪還作戦

先日、長年にわたりゲリラ組織に拘束されていた元大統領候補、イングリッド・ベタンクール女史や3名のアメリカ人を含む15人の人質が、軍の作戦により奇跡的に生還しました。これは既に世界中で報道されているので、多くの方がご存知の事でしょう。

私自身はこの場で政治・治安関係の話をするのはあまり好きではないのですが、さすがにこれは世紀に残る一大事件ですので、私なりにコメントしたいと思います。

陸軍が計画した「ジャック(Jack)作戦」は、ゲリラ前線部隊に密かにスパイを送り込み、最高幹部の元へ移送するという口実でゲリラ側の前線隊長を騙す事に成功し、人質を一ヶ所へ移動させた後にこれまた先日別の人質を移送させる為に隣国ベネズエラ政府が使用した白のヘリコプターそっくりに軍のヘリを偽塗装したものを待機させ、ゲリラ側隊長を含め全員が乗り込んだ後に、上空で「実は我々は国軍だ。あなた方はもう自由だ」と打ち明けたという劇的なものでした。

Partido_liberal この劇的な救出劇の一報が国防省から発表された直後から、国中が歓喜に沸きました。私のオフィス付近でも紙吹雪やトイレットペーパーの長い帯がそこら中の建物から降ってきました。画像はコロンビアの二大政党の一つである「自由党」(Partido Liberal)本部の建物です。救出作戦が大成功に終わったこの日の午後は、町中がちょっと違うムードに包まれました。

開放された15名の人質の中で最も重要な人物がイングリッド・ベタンクール元上院議員で、彼女は大統領選の遊説中にゲリラ地帯で拘束され、そのまま長年にわたり人質生活を送っていました。救出されたその日、大統領府で夜11時過ぎまでおよそ一時間以上にわたり、ウリベ大統領以下全閣僚や三軍の長などが列席した中で会見に応じていました。その様子を私も見ていましたが、救出された直後で疲労が残っている中、気丈な様子には感動しました。翌日にはフランス政府機に乗ってきた現地在住の息子や娘と共にフランスに向かい、大統領府でも会見を行いましたが、その流暢なフランス語にも脅かされました。11年コロンビアに住んでいる私のスペイン語力など比ではありません(当たり前か)

この作戦の成功により、コロンビア軍関係者は総司令官以下皆が一躍「英雄」扱いとなっており、彼らも鼻が高くなっている筈です。また、ウリベ大統領も以前から支持率が高い方ですが、かつて前例のない「大統領再再選」が現実味を帯びてきました。現大統領が就任してから6年が経ちますが、前回2006年についてもコロンビア現行憲法では「大統領の再任は禁止」だったものを国民の総意がそれを覆したものであり、更に「再再選」ともなればこれまた国政史上前例のない事態となります。それだけ現大統領の支持率は高く、六年経過して支持率が70%前後を誇っているケースは他国でもそうはないと思います。

現大統領について私が個人的に「スゴイ人だ」と思うのは、とにかく働く人であるという点です。歴代の大統領の中で彼が一番「大統領専用機」を使いこなしている筈で、それは主に国内出張に使われますが、毎週土曜日には就任以来ずっと国内の大小の町で「市民対話集会」を行っており、それが午後早くから始まって日がどっぷりと暮れるまで延々市民と直接議論を交わしているのですから凄いです。その様子はテレビ生中継されており、私も序盤までは見たりするのですが、さすがにそれがおよそ6時間にも及ぶとチャンネルを回してしまいますから、大統領はすごい気力の持ち主です。

と、話がそれました。話題を元に戻して人質奪還作戦の件ですが、私が一つ疑問に思っているのは、ゲリラ組織(FARC)の"第一前線"のトップが逮捕された後に「軍に騙された」と供述している点で、人質を最高幹部の元へ移送させるという話であれば、なぜ当の幹部に問い合わせの一報を入れなかったのか、それがとても不思議に感じます。少なくとも前線のトップであれば準幹部ですから、最高幹部とは何らかの連絡手段があった筈ですが・・・それとも最近の組織弱体化で連絡手段すら寸断されていたのか?事実、軍は昨今ゲリラ側の通信を傍受していますから、下手に連絡は取れなかったのかもしれませんが。

それと、今回の作戦があまりにも上手く行き過ぎた為、まだ残っている他の人質をどのような作戦で奪還できるのか、同じ手は二度使えないでしょうから、これからの救出作戦が気になるところです。とりあえずは今回の15人の救出を祝福したいと思います。

それにしても、軍に騙されて奪還作戦に「同乗」してしまったゲリラ側前線隊長が翌日報道記者達の前に現れた画像を見た時には驚きました。両目の周りはアザだらけで、顔面には多くの傷がありました。おそらく最長では10年も彼の拘束下にあった人質達・若しくは軍関係者から蹴りを喰らったか殴られたかで、ボコボコにやられたのでしょう。それは痛ましい姿ではなく、それだけ怒りを買っていた事の表れと思いました。

にほんブログ村 海外生活ブログ 中南米情報へ

|

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »