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歴史に残る15人の人質奪還作戦

先日、長年にわたりゲリラ組織に拘束されていた元大統領候補、イングリッド・ベタンクール女史や3名のアメリカ人を含む15人の人質が、軍の作戦により奇跡的に生還しました。これは既に世界中で報道されているので、多くの方がご存知の事でしょう。

私自身はこの場で政治・治安関係の話をするのはあまり好きではないのですが、さすがにこれは世紀に残る一大事件ですので、私なりにコメントしたいと思います。

陸軍が計画した「ジャック(Jack)作戦」は、ゲリラ前線部隊に密かにスパイを送り込み、最高幹部の元へ移送するという口実でゲリラ側の前線隊長を騙す事に成功し、人質を一ヶ所へ移動させた後にこれまた先日別の人質を移送させる為に隣国ベネズエラ政府が使用した白のヘリコプターそっくりに軍のヘリを偽塗装したものを待機させ、ゲリラ側隊長を含め全員が乗り込んだ後に、上空で「実は我々は国軍だ。あなた方はもう自由だ」と打ち明けたという劇的なものでした。

Partido_liberal この劇的な救出劇の一報が国防省から発表された直後から、国中が歓喜に沸きました。私のオフィス付近でも紙吹雪やトイレットペーパーの長い帯がそこら中の建物から降ってきました。画像はコロンビアの二大政党の一つである「自由党」(Partido Liberal)本部の建物です。救出作戦が大成功に終わったこの日の午後は、町中がちょっと違うムードに包まれました。

開放された15名の人質の中で最も重要な人物がイングリッド・ベタンクール元上院議員で、彼女は大統領選の遊説中にゲリラ地帯で拘束され、そのまま長年にわたり人質生活を送っていました。救出されたその日、大統領府で夜11時過ぎまでおよそ一時間以上にわたり、ウリベ大統領以下全閣僚や三軍の長などが列席した中で会見に応じていました。その様子を私も見ていましたが、救出された直後で疲労が残っている中、気丈な様子には感動しました。翌日にはフランス政府機に乗ってきた現地在住の息子や娘と共にフランスに向かい、大統領府でも会見を行いましたが、その流暢なフランス語にも脅かされました。11年コロンビアに住んでいる私のスペイン語力など比ではありません(当たり前か)

この作戦の成功により、コロンビア軍関係者は総司令官以下皆が一躍「英雄」扱いとなっており、彼らも鼻が高くなっている筈です。また、ウリベ大統領も以前から支持率が高い方ですが、かつて前例のない「大統領再再選」が現実味を帯びてきました。現大統領が就任してから6年が経ちますが、前回2006年についてもコロンビア現行憲法では「大統領の再任は禁止」だったものを国民の総意がそれを覆したものであり、更に「再再選」ともなればこれまた国政史上前例のない事態となります。それだけ現大統領の支持率は高く、六年経過して支持率が70%前後を誇っているケースは他国でもそうはないと思います。

現大統領について私が個人的に「スゴイ人だ」と思うのは、とにかく働く人であるという点です。歴代の大統領の中で彼が一番「大統領専用機」を使いこなしている筈で、それは主に国内出張に使われますが、毎週土曜日には就任以来ずっと国内の大小の町で「市民対話集会」を行っており、それが午後早くから始まって日がどっぷりと暮れるまで延々市民と直接議論を交わしているのですから凄いです。その様子はテレビ生中継されており、私も序盤までは見たりするのですが、さすがにそれがおよそ6時間にも及ぶとチャンネルを回してしまいますから、大統領はすごい気力の持ち主です。

と、話がそれました。話題を元に戻して人質奪還作戦の件ですが、私が一つ疑問に思っているのは、ゲリラ組織(FARC)の"第一前線"のトップが逮捕された後に「軍に騙された」と供述している点で、人質を最高幹部の元へ移送させるという話であれば、なぜ当の幹部に問い合わせの一報を入れなかったのか、それがとても不思議に感じます。少なくとも前線のトップであれば準幹部ですから、最高幹部とは何らかの連絡手段があった筈ですが・・・それとも最近の組織弱体化で連絡手段すら寸断されていたのか?事実、軍は昨今ゲリラ側の通信を傍受していますから、下手に連絡は取れなかったのかもしれませんが。

それと、今回の作戦があまりにも上手く行き過ぎた為、まだ残っている他の人質をどのような作戦で奪還できるのか、同じ手は二度使えないでしょうから、これからの救出作戦が気になるところです。とりあえずは今回の15人の救出を祝福したいと思います。

それにしても、軍に騙されて奪還作戦に「同乗」してしまったゲリラ側前線隊長が翌日報道記者達の前に現れた画像を見た時には驚きました。両目の周りはアザだらけで、顔面には多くの傷がありました。おそらく最長では10年も彼の拘束下にあった人質達・若しくは軍関係者から蹴りを喰らったか殴られたかで、ボコボコにやられたのでしょう。それは痛ましい姿ではなく、それだけ怒りを買っていた事の表れと思いました。

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